2003年に長崎市で起きた男児誘拐殺害事件から7月1日で20年。県弁護士会「犯罪被害者支援特別委員会」は当時、3人が代理人となって司法手続きの代行やマスコミとの窓口になり、被害者遺族を支えた。その1人、河井耕治(56)=那覇市=は「犯罪被害者を支援する取り組みは一定進んだが、まだまだ不十分だ」として、国主導で総合的な支援を受けられる体制構築を訴える。 03年7月、テレビでは連日、被害男児=当時(4)=の関係先の映像が映し出され、マスコミが殺到している様子がうかがえた。「非常に激しいメディアスクラム(集団的過熱取材)が起き、明らかに遺族の平穏が維持できない状況だった」。河井らは同委員会での支援に動き始めた。 河井は同じ年の3月に設立された長崎被害者支援センター(当時)の初代事務局長。被害当事者や県警、臨床心理士らと設立に向けた準備を前年から進め、連動する形で県弁護士会に同委員会を設置。委員会でも事務局長を務めていた。 県警を通じ、遺族側に「必要であれば、われわれの方で動きます」と意向を伝えた。連絡があり、被害男児の両親らと長崎市内で面会。憔悴し( しょうすい )きった父親の様子に河井は「自分の本当の気持ちにアクセスできない状態」との印象を受けた。「非常に強い痛みや苦しみなどに襲われた人が感情をシャットダウンするのは正常な反応」だった。 「つらい事実を見たり聞いたりするのは嫌だ」「何が起きたのか知りたい」。河井によると、被害者遺族は相反する二つの心情が「シーソーの上に乗っかっている」状態に陥る。バランスは個人差があり、家庭崩壊に至ることも珍しくないという。長崎の事件は幸いにも、祖父母らと大家族のチームを形成し、支え合う関係が成り立っていた。 河井らは遺族の意向を踏まえ、定期的にマスコミに遺族の心情を伝える役割を果たした。01年の少年法改正で、遺族が少年審判で意見陳述することや審判記録の閲覧・複写が可能になっていた。河井らは手続きを進め、遺族はA4判で千ページに及ぶ膨大な事件記録を閲覧し、長崎家裁で裁判官に直接、心情を訴えた。「記録に目を通すのは非常につらい作業」と河井は遺族の心境をおもんぱかる。 「事件に関する事実と、精神鑑定の結果が公の場で公表され、教訓とすることで、安心して暮らせる世の中にしてもらいたいと切に願います」。父親は意見陳述でそう求めていた。 だが、遺族の思いを踏みにじるかのように、昨年10月、全国各地の家裁が長崎の事件を含め重大少年事件の記録を廃棄していたことが判明した。被害者の意見を聞くことなく廃棄した裁判所の姿勢に、河井は「被害者を証拠物としてしか扱っていない」と非難する。 最高裁は今年5月に調査報告書を公表し、再発防止策として国民や専門家の意見を反映させる常設の第三者委員会を設置するとした。河井は「当事者や被害者問題の専門家が第三者委に当然入るべき」とする。 事件翌年の04年に犯罪被害者等基本法が成立。本県では全自治体で21年10月までに、犯罪の被害者・遺族への見舞金支給や対応窓口の設置などを定める犯罪被害者等支援条例が施行された。ただ全国的に見ると、全自治体で施行されたのは本県を含む9県(昨年4月時点)にとどまる。 河井はこう訴える。 「条例ができれば解決、ではない。国は被害者庁を創設し、何が必要な支援か調査・検討し、全国どこにいても誰でも一律に総合的な支援が受けられる体制を構築すべきだ」 =文中敬称略=
(出典先:https://news.yahoo.co.jp/articles/cb76edc338cbda4435f4e415cd06676ffafd7b1a 長崎新聞)